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場が文化を伝える

 

最近、ある会議で、1人の参加者の方がぽろっと「場が文化を伝えるんだよ」と言われていました。

何気ない一言ですが、けっこう本質的なことだと思っています。

 

例えば「床の間があるから掛け軸も受け継がれてきた」ということなど、数えだしたら枚挙にいとまがありませんが、身の回りでもちょっと注意して見てみると、いろいろと気づくものです。

 

僕が慣れ親しんだ「道場」という空間は、体育の授業で受けていた方や武道経験者の方には伝わるかと思うのですが、1歩足を踏み入れた瞬間に、自分が変化したことに気づきます。

 

 

その場の持つ独特の空気感や、日常生活では得られない問いや気づきなど、場に応じて多様な情報がぎゅっと詰まっており、インプット/アウトプットを繰り返すことで、自分自身の変化そのものが洗練されていくというイメージです。

 

 

先日、場づくり=メディア化だということを書いたのですが、冒頭に戻ると、その場やメディアが伝えるものは「文化」である、ということになります。

 

この「文化(culture)」という言葉も明治時代に日本語に訳されたものと言われていますが、もともとはagri-cultureなどに見られるように「耕す」という語源を持つようです。

 

では、何を耕すのか。

 

 

僕達が、普段「文化」と耳にする時、音楽や演劇など主に芸術の分野を連想しやすいかもしれませんね。

 

 

「下町文化」「京文化」などその場が醸し出す独特の魅力を表すもの。あるいは、「大衆文化(ポップカルチャー)」「上位文化(ハイカルチャー)」「下位文化(サブカルチャー)「対抗文化(カウンターカルチャー)」など、人間の思考や趣向を表すもの。

 

 

岡山は、西の秋葉原と呼ばれることもあり、後者については受け入れやすい土壌ができているかと思いますが、果たして「岡山文化」という岡山ならではものがどこまで地域内外で感じられ、伝わっているのかは定かではありません。

 

今はインターネットで、「岡山 ごはん」とか検索すると、いつでもどこでも情報を得ることができるようになりましたが、能動的にその地域のことを調べる機会は、観光や出張に行く機会でも無ければなかなかないように思います。

 

遠くにお住まいの方の岡山へのイメージは、桃太郎、きびだんご、桃、マスカット、美観地区などなど、でしょうか。

 

 

 

ここにおいて、「場が文化を伝える」ということのポイントはきっと、20世紀に上位文化が一般市民にも広く普及したように、文化的要素を多分に含んだ経済活動が、VRやアバター技術の後押しとも相まって、リアルな場でなくとも僕たち一般市民に広がってきている、ということ。

 

例えば、岡山にいながらスペインのトマト祭りに参加したり、宇宙旅行ができたり。

例えば、東京とか海外にいながら「ただいま」「おかえり」と言える場がネット上にあったり。

 

晴れ間は、古民家を改修したひとつの場ではあるんだけれども、もし晴れ間にも「文化」というものがあるのだとしたら。

 

そこでつながった人たちが、時間や空間を超えて交流し、自分らしさを広げたり深めたりしていけるような場を増やしていくことで、その「文化」がだんだんみんなの掌にすっぽりと収まっていくんじゃないかなあ。

 

 

ハレとケ、まつり、民藝やミームなどについても触れてみたいのですが、長くなるのでまた今度。

 

ではでは。

 

まさのり